人物
1848年6月8日~1903年5月9日
フランスの画家。パリに生まれ、ラ・ドミニック島で歿。
陶芸、彫刻、版画などの作品も重要である。
略歴
1851年 ペルーへの渡航中、父の死にあい、リマに滞在する。
1865年 海員となったが、1871年パリの両替店の雇員となり安定した生活に入りデンマーク人女性と結婚。余暇にデッサンを習い、印象派の画家と交わる。第4回印象派展に出品。
1883年 職を捨てて画家を志す。
1886年 ブルターニュのポン=タヴァンに最初の滞在。11月パリでファン・ゴッホに出会う。
1887年 マルティニック島に旅行、1888年まで第2回ポン=タヴァン滞在。この頃カミーユ・ピサロ風の印象主義的画風から総合主義へと画風を展開させ、エミール・ベルナール、ルイ・アンクタンたちとともにポン=タヴァン派を形づくる。1888年の『説教のあとの幻想、あるいは天使と闘うヤコブ』(エディンバラ、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)などにみられるように、奥行を軽視した構図、単純化された形態、平塗の色彩、素朴で地方的な題材などが特徴的である。
1888年秋、アルルでゴッホと2ヶ月共同生活の末、ゴッホの耳切り事件後パリに帰る。
1889年 ポン=タヴァン、ル・プールデュに滞在し、1891年6月第1回タヒティ行。このおり『ノア・ノア』(前川堅市訳がある)の草稿を執筆。
1893年 帰国し、1895年7月第2回タヒティ行。
1903年 ラ・ドミニック島に移る。ヨーロッパ文明を否定して原始にあこがれるかれの精神は、未開美術の発見などを通してタヒティの裸婦像に結実するとともに美の多様性の主張にもつながっている。
代表作
代表作『市場にて』(1892、バーゼル美術館)、『われらいずこより来るや、われら何なるや、われらいずこに行くや』(1897、ボストン美術館)など。
出典・参考文献:『新潮 世界美術辞典』新潮社(1985年)